馬場整体院のインフォメーション画像
院長紹介
はじめまして、院長の馬場佳志です。

当院の施術はとてもソフトな刺激です。

強く押したりりボキボキしたりはしません。アトピーなどの0歳児の赤ちゃん~80代の方まで施術を受けて頂いています。

 

施術実績40000人以上


院長 馬場佳志の自己紹介画像

所有資格・終了証


所有資格・修了証 NSTアドバンス修了証、柔道整復師免許、柔道整復専科教員免許他
院長 馬場佳志の似顔絵

 

 

こんにちは、馬場整体院 院長の馬場佳志です。当院HPをご覧いただきありがとうございます。自己紹介をさせて頂きます。もしも興味を持っていただけたのなら読んでください。

 

治療等に対する思いを含め、ちょっと恥ずかしいのですがありのままを書きます。


開業までの道のり


寂しかった幼少期

1歳の時に癌で父を無くしました。色々な意味でとても辛い思いをしました。私自身色々と辛いことがありましたが、一番辛いのは母だったと思います。

 

25歳で無くなった父は生命保険にも入っておらず、決して裕福ではなかった母は実家に戻ることも出来ず、私の祖父母と私と4人で生活をしました。祖父母は高齢で働いておらず、祖父母の少ない年金と、母の15万円の給料で何とか一家は生活していました。当然ひどい貧乏でした。

 

それでも、私の必要な物は食費やその他の経費を削って買ってもらっていました。

 

幼心にも無理させているんだなと、思い感謝の気持ちを持っていたのですが、それが幼心にもプレッシャーになっていました。小中学校時代ほとんど勉強はしませんでしたが、成績は悪くなかったと思います。


体育の成績は特に良かったです。小学校3年生で音楽が大好きになり、何とかギターを買ってもらおうとお願いしたのですが買ってもらえませんでしたが、ねばって頼み込み中学1年生の時やっと買ってもらいました。

 

中学に入ってからは、陸上部に入り、部活動とギターに明けくれました。


ギターに没頭した高校時代


高校に入学すると、部活動はせず、ほとんどギターを弾いていました。

他に興味のあることも無く、相変わらず勉強はせずに、小学中学と何とか成績は維持していたのですが、さすがに高校になると、かなり悪くなっていました。

私の実家はひどい田舎で、当時は就職先もなかなかありませんでした。

将来の為にも大学に行こうと決意したのですが、受験勉強を始めたのは高校3年生の冬休み。当然、受験は失敗です。偏差値が45以下の大学にも入れませんでした。

予備校など通う余裕はなく、自宅浪人が始まりました。浪人が始まってもまだやる気が出ず本格的に受験勉強を始めたのは8月頃からでした。

それからは夜1時間だけテレビを見る時と、食事、入浴以外はずっと集中して、狂ったように2月まで猛勉強をしました。

1日14時間は勉強しました。もともと意志は強かったのだと思います。誰とも会わず、家にこもりっきりの半年間はかなり答えました。猛勉強の甲斐もあり青山学院大学に合格しました。

周囲からは、1年間でそこまで成績が伸びたか!とびっくりされましたが、正味6カ月です。
もう、こんなに勉強することは無いだろうと確信していたのですが、とんでもない誤りでした。


貧乏だった大学時代


合格した時はとてもうれしかったです。

仕送りは毎月5万円だったので、ほとんどアルバイトをしていました。ヤマト運輸のお歳暮お中元配達、新築ビルの床洗い、飲食店のゴキブリ、ネズミ駆除、植木職人助手、ビラ配りポスティング、皿洗い、バーテンダー。かなり色々とやりました。

 

絵に描いたような貧乏学生。(泣)1週間、「納豆とふりかけ」だけなんて事もありました。(新潟生まれですので、米は実家からたくさん送ってもらっていました。)

友人は皆彼女とデートする為や、海外旅行へ行くためにアルバイトをします。

 

僕は生活の為。中にはアルバイトもせず、外車にのって毎年海外旅行へ行っている友達(大学生)もいました。

 

世の中平等じゃないが、今に見ていろと、へこたれたことはありませんでした。



自分のやっている仕事は間違っている。と悩んでいたサラリーマン時代


学を卒業して不動産会社に就職したのですが、まったく自分に向いていないことに気付きました。

利益の為には、悪いと思っていることも「良い」と言ってセールスしなければならない。これって、フェアーじゃない。僕にはできない。と強く感じました。

 

そんな頃、私自身が寝違いをして、接骨院で診てもらいました。とても素晴らしい職業だと直感しました。会社は4年間勤務して退職、奨学金を借り柔道整復専門学校に入学しました。

 

それからは、勉強することが楽しくなり本当によく勉強しました。生まれて1度たりとも、勉強が楽しいと思ったことはありませんでした。受験勉強も、学校での勉強もまったく役には立たないと思っていました。嫌で嫌で仕方ありませんでした。

 

しかし、身体に関することは楽しいです。自分の職業はこれだ!と確信できました。解剖学や、生理学、病理学、などはおもしろいですね。今でも楽しいです。在学中はガンガン勉強しました。

 

無事に3年間で卒業できて、国家試験にも合格し病院(整形外科)に就職しました。

 

 

ここからが本当の勉強でした。いくら国家試験に合格したからといっても人を施術する能力はまだまだです。

病院では親切な先輩に恵まれ、マッサージや関節可動域を広げる技術AKAという技術を教えてもらい訓練を続けていましたが、なかなか結果が出ません。少しだけ患者さんを楽にしたのかな?こんなんでいいのかな?なんて感じの日々が過ぎて行きました。


 

すごく忙しい病院で1日100人~150人の患者さんのリハビリを僕と先輩の二人でやっていました。病院を退職し整骨院に勤務してからは1日30~40人くらいの患者さんの施術をしていました。

経験を積めばそれなりに技術も上がり、どうにか診断も出来るようになり、病院との連携の仕方、等開業できるレベルにまでこぎつけ、平成17年3月に接骨院を開業します。

開業した年に息子が生まれました。↓(^^)

開業してからの、接骨院経営は思ったよりもうまく行きました。

地域密着型の、けが、スポーツ障害など、筋、骨格系専門の治療院としてスタートしました。

その頃は当然、アトピー整体も、不妊整体もできません。

腰が痛い、肩が痛い、足首をねん挫した人などの治療をしていました。

経営としては順調な日々を送っていました。

しかし開業して、3年ほどしてから、自分のやっていることに疑問を持ち始めました。

 

腰痛を訴えてきてくれる方を治療します。

すると、数回で良くなり、治療は終了となります。

でも、しばらくすると、短ければ1か月ほどで、同じ方が同じ症状でまた来院します。

 

また治療をして良くなる。しばらくして、同じ症状でまた来てくれる。

 

これを複数の方が繰り返します。

 

僕は悩み始めます。

僕は、根本的には治せていない

ということなのかな?

 

短期的に症状を抑えているだけか?

 

自分の治療技術を見直すようになり、悶々とした日々が始まりました。

そんな日々が1年ちょっと経過したころ、僕自身が交通事故にあってしまいます。

 

むち打ちでした。

 

何とか仕事は休まずに済みましたが、結構つらい状態でした。

最初は、お決まりの症状ですが、首をいつもの半分も動かせません。

 

むち打ちの方はたくさん診てきていましたので、そのうち治るだろう

と、軽く考えていました。

数週間たって、首の動きは正常になりましたが、明らかな体調不良、

いわゆる不定愁訴が、強烈に残っていました。

 

だるい

不快

読書ができない

お酒を飲んでも美味しくない

食欲がない

熟睡できない

大好きな音楽を聴いても楽しくない

 

やばい、僕はうつ病になるのか?

 

とさえ心配し始めました。

 

このままじゃだめだ、と思い、コネクションをフル活用し、いろいろな人たちに治療してもらいました。

針、

AKA、

オステオパシー、

しかし、一時的には良くなりますが、2日もすればまた元に戻ります。

そんな状態が事故後1年以上継続しました。

このままでは困る!

他に何か治療法はないのか?

何か、別の方法はないのか?

色々と探しているときに、ストレートカイロプラクティックを見つけました。

 

僕自身カイロプラクティックも学んでいました。

しかしそれは、ミックスカイロプラクティック。ストレートカイロプラクティックとは、まったく別の物でした。

それまで、僕はカイロプラクティックは全てミックスだと思っていて、ストレートカイロのことは知りませんでした。

 

早速調べ、ストレートカイロプラクティックのアジャストメントを受けました。

衝撃的でした。

施術はほんの10秒で終了

でも、効果は絶大、

1度のアジャストで症状は半減し、3度受けて、完治しました。

これには、驚き、僕もストレートカイロプラクティックを学ぶことにしました。

カイロプラクティックの第一人者、代々木の

BJカイロプラクティックオフィスの谷崎芳樹先生に指示し、

    ↑

(クリックすると、谷崎先生のオフィスのHPへ飛びます。)

今までやってきたことは全て捨てるほどの覚悟で、1年間みっちりと、

カイロプラクティックを学びました。

そこでの大きな気付き

治すことと、症状を抑えることは別

 

今までやってきたことは、治すことではなく、症状を抑えていただけなんだ。

人を治す、人を健康にするには、もっともっと学ばなければだめなんだ。

はっきりとわかりました。

それまでの僕には、治療哲学がありませんでした。

何のために治療しているのか、それがないので、心がぶれて、悶々としていたのです。

ストレートカイロプラクティックが最も大切にすることは、哲学です。

その哲学を、谷崎先生に叩き込まれ、それが僕の治療哲学の根幹となっています。

 

 

1年間の谷崎先生の指導が終了してからは、治療方法をすべて変え、ストレートカイロプラクティックを実践し始めました。するとその治療効果は、筋骨格系の範囲内には留まらず、アレルギー、メンタル系、消化器系、多岐に発揮することができました。

谷崎先生の下で学んだ1年間、この1年が僕の治療家としての転換期でした。

いえ、人として変わることができました。

まさに人生が変わりました。

絶対にぶれることのない哲学を身に着けました。

その後も1つ1つ、新しい技術、知識を取り入れながら、病院では治らない症状に苦しむ方を一人でも多く救うことを治療の目的、いや人生の目的として、日々励んでいます。

環境や、ウィルス、人の体も変わってきています。

我々の治療技術も100年前の物は通用しません。

 

パソコンがない、放射能がない、添加物がない、水がきれいだった時代の治療技術が、今通用するはずがありません。

20年前の技術とて、同じ効果は出ません。

僕自身が治せない患者さんもいます。

そういったことを少しでも減らすため、今後も学び続けます。

現状維持は、後退

この道に到達点はありません。

この仕事に人生をかけています。