体育の成績は特に良かったです。小学校3年生で音楽が大好きになり、何とかギターを買ってもらおうとお願いしたのですが買ってもらえませんでしたが、ねばって頼み込み中学1年生の時やっと買ってもらいました。
中学に入ってからは、陸上部に入り、部活動とギターに明けくれました。
高校に入学すると、部活動はせず、ほとんどギターを弾いていました。
他に興味のあることも無く、相変わらず勉強はせずに、小学中学と何とか成績は維持していたのですが、さすがに高校になると、かなり悪くなっていました。
私の実家はひどい田舎で、当時は就職先もなかなかありませんでした。
将来の為にも大学に行こうと決意したのですが、受験勉強を始めたのは高校3年生の冬休み。当然、受験は失敗です。偏差値が45以下の大学にも入れませんでした。
予備校など通う余裕はなく、自宅浪人が始まりました。浪人が始まってもまだやる気が出ず本格的に受験勉強を始めたのは8月頃からでした。
それからは夜1時間だけテレビを見る時と、食事、入浴以外はずっと集中して、狂ったように2月まで猛勉強をしました。
1日14時間は勉強しました。もともと意志は強かったのだと思います。誰とも会わず、家にこもりっきりの半年間はかなり答えました。猛勉強の甲斐もあり青山学院大学に合格しました。
周囲からは、1年間でそこまで成績が伸びたか!とびっくりされましたが、正味6カ月です。
もう、こんなに勉強することは無いだろうと確信していたのですが、とんでもない誤りでした。
すごく忙しい病院で1日100人~150人の患者さんのリハビリを僕と先輩の二人でやっていました。病院を退職し整骨院に勤務してからは1日30~40人くらいの患者さんの施術をしていました。
経験を積めばそれなりに技術も上がり、どうにか診断も出来るようになり、病院との連携の仕方、等開業できるレベルにまでこぎつけ、平成17年3月に接骨院を開業します。
開業してからの、接骨院経営は思ったよりもうまく行きました。
地域密着型の、けが、スポーツ障害など、筋、骨格系専門の治療院としてスタートしました。
その頃は当然、アトピー整体も、不妊整体もできません。
腰が痛い、肩が痛い、足首をねん挫した人などの治療をしていました。
経営としては順調な日々を送っていました。
しかし開業して、3年ほどしてから、自分のやっていることに疑問を持ち始めました。
腰痛を訴えてきてくれる方を治療します。
すると、数回で良くなり、治療は終了となります。
でも、しばらくすると、短ければ1か月ほどで、同じ方が同じ症状でまた来院します。
また治療をして良くなる。しばらくして、同じ症状でまた来てくれる。
これを複数の方が繰り返します。
僕は悩み始めます。
僕は、根本的には治せていない
ということなのかな?
短期的に症状を抑えているだけか?
自分の治療技術を見直すようになり、悶々とした日々が始まりました。
そんな日々が1年ちょっと経過したころ、僕自身が交通事故にあってしまいます。
むち打ちでした。
何とか仕事は休まずに済みましたが、結構つらい状態でした。
最初は、お決まりの症状ですが、首をいつもの半分も動かせません。
むち打ちの方はたくさん診てきていましたので、そのうち治るだろう
と、軽く考えていました。
数週間たって、首の動きは正常になりましたが、明らかな体調不良、
いわゆる不定愁訴が、強烈に残っていました。
だるい
不快
読書ができない
お酒を飲んでも美味しくない
食欲がない
熟睡できない
大好きな音楽を聴いても楽しくない
やばい、僕はうつ病になるのか?
とさえ心配し始めました。